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​こころの相談

 まだまだ日本では、欧米諸国とくらべるとカウンセリングに対する敷居が高いようです。欧米諸国では「予防カウンセリング」が一般的で、たとえば虫歯になる前に定期検診を受けるのと、虫歯になってから歯科に受診する日本との差だと言えば、わかりやすいかもしれません。虫歯になってからだと、歯を削らねばならず、治療には多少の痛みが伴います。

 こころに関しても同様です。こころの痛みが大きくなる前に、専門家の元へ訪れてはいけない理由はありません。

​「こんなことで相談してもいいのだろうか」とお悩みの方ほど、悩みが深いのを私たちは経験から知っています。ここにあげた例はごく一部ですが、悩みに決まった型はありません。いっしょにその悩みの出所を見つめていきましょう。

​希死念慮がある

 希死念慮とは、死んでしまいたい気持ちのことです。一般的には、そこには人生がうまくいかない憤りや絶望があると理解されています。生きていかなければならないのはわかるけれども、その苦労を考えると「死にたくなる」というものです。

 一方で「消えていなくなりたい」と話す人もいます。死んでしまいたいのと似ていますが、どこか心寂しいものです。あえていうなら、端からこの世の中に期待していないかのようです。もう疲れ切ってしまったので、このまま人生からフェードアウトしたいというような感覚かもしれません。

 いずれも精神科領域では希死念慮としてまとめられていますが、生きていく前提がある「死にたい」と、その前提が希薄な「消えたい」とでは、こころの土台が異なっています。

・カウンセリングについて

 基本原則として、カウンセリングでは話してはいけない気持ちはありません。ですので「死にたい」も「消えたい」も、その気持ちをしっかりとうかがいます。

 この社会では死を選びたい気持ちを表明することはタブー視されています。みんなにとって死は怖いもので、もっとも避けたいものなので、これを積極的に選択する理由が見えず、かつ賛成もできないのです。なので、こうした気持ちを相談すると、かえって孤立したような気持ちになった経験がある方もいらっしゃるかもしれません。

 しかし私たちの考えでは、カウンセリングという場は社会から離れた非日常です。ここにおいては、ある程度社会的な制約から離れていると感じる必要があります。こうして、かかえている気持ちを話し尽くすことができたその先に、また新たな気持ちが出てくるでしょう。

2

​人や社会が怖い・複雑性PTSDがある

 人からどう見られているのだろう、自分が変なことをしてしまうのではないか……。こうした気持ちが強まって、人前に出ると不安・発汗・声の震え・嘔吐などが誘発され、特定の場面を避けてしまう。それらは緊張によるもので、この緊張が大きくなると恐怖心に至ります。専門的には社交不安症とも言われます。

 特定の場面を避けているように見えるので、周囲の目からは「逃げている」などと思われてしまうのが、この症状のつらいところです。

・カウンセリングについて

 なぜ人や社会が怖くなるのかというと、背景はさまざまです。かつて自分の存在(自我)が押しつぶされてしまいそうになった体験(児童虐待や事件・事故・災害に巻き込まれたなど、心的外傷[トラウマ]が関係している)がある場合や、そうでなくても極端に自己評価が低く、自分が存在していること自体が周囲に迷惑なのではないかと感じてしまっているなどです。慎重に背景を確かめていきます。そうして人や社会に対する怖さの理由が見えてきたら、より具体的な対処と対応もわかってきます。

3

​現実感がない

「いつも自分を遠くから見ている感じがする」「自分の中に誰かが入って、自分を操縦しているんじゃないかと思う」「自分の人生は、なにかの映画を観ているような感じ。スクリーンに映っている自分を、私がお金を払って観ている。そこになんの得もない」

 こうした、こころと実世界との間を透明なアクリル板で仕切られているような感覚を、精神科領域では離人感・現実感喪失症と呼びます。何をしても空虚で、達成感が持てず「まるでモノクロームの世界にいる感じ」と話す方もいます。

 より、こころが実世界から離れて一時的に明らかな遊離がある場合は、解離性同一症と呼ばれます。こころが遊離している間の記憶はないところが特徴で、かつその間に自分が何をしていたのかもわからないことから、強い恐怖心が嵩じてしまう苦しい状態で、多くの方に慢性的な不眠が伴っているのも特徴です。

・カウンセリングについて

 上記のような体験をしている方は、子どものころからとてもつらい環境に置かれていた可能性があります。しかし、その自覚をご本人は持っていないこともしばしばです。なぜなら、つらい体験からこころを守ろうと必死に見ないようにしていた事実もあるからです。それが、離人感や解離症の大元になっています。専門的にいうと、こころの非常事態から守るために「防衛機制」が働き「感じてしまわないように“抑圧”された」状態が続いています。なので、実世界を感じられない「モノクロームの世界にいる感じ」なのかもしれません。

 カウンセリングでは、言葉にできなかった気持ちを少しずつ話していきます。抑圧していたものを一気に吐き出してしまうのもつらいので、やはり少しずつです。その過程で嫌な気持ちを再体験してしまうこともありますので、慎重に行います。封じられていた気持ちが出尽くしてくると、世界に色彩が戻ってきます。「空がきれい」「おいしそうな匂い」「人がやさしい」を感じられるようになり、こころと実世界が噛み合って動くのがわかってきます。

4

嗜癖問題(依存症)・反復強迫

 嗜癖問題には、アルコール・薬物などの物質依存によるものと性行為や買い物などの行為依存があります。いずれにしても「しないほうがいいのはわかっている」のにしてしまうつらさがあります。このことで人間関係や仕事に明らかな支障をきたしていたり、場合によっては多額の借金までも背負っていたりすると、精神科では依存症と診断されます。

 

・カウンセリングについて

 依存行為の最中に、どのようなお気持ちなのかを聞いていきます。嗜癖問題を抱えている方は、総じて緊張が高かったりがまんが強かったりするのが特徴です。そこから一時的に離れるために必要だったのが「依存先」です。

 また、ここには「反復強迫」という独特な心理状態が働いていることもあります。これは精神分析の用語で「無意識に心的外傷[トラウマ]となる体験を繰り返している」ことを指します。

 たとえば、幼少期に親から冷たくされ続けて、甘えてみても不機嫌そうに手で払い除けられて傷ついたとします。親への期待が裏切られる体験です。これがギャンブル依存などにつながると「負けるのを確かめる」かのように興じていることがあります。「どうせ裏切られる」という幼少期の外傷体験を、無意識のうちにギャンブルへと形を変えて、繰り返しているのです。このとき、負けが嵩むほどこころの傷を確かめることができるので、どんどんと負けが込んでいきます。もちろん、こころの傷を確かめているという自覚は、ご本人にはありません。「ホス狂い」や不特定多数の人への性行為の耽溺も同様のことが言え、求めても振り向いてもらえない外傷体験の再確認が見られることもあります。

 こうした心奥を見ていくのはつらい作業ですが、見えてきたら変わることができます。変わらざるを得なくなると言ってもよいでしょう。

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​人間関係の悩み

 人間関係の悩みは、人と人との組み合わせによって起こります。たとえば、その多くは高圧的な人とそれに合わせて従ってしまう人の組み合わせです。この場合、合わせて従ってしまう人にだけがまんが嵩んでいくのがつらいところです。こうした関係が固定されて動けなくなってしまったときに、悩みとして自覚されます。その人間関係から離れることで一時的に悩みは減りますが、この距離を取る対策は一時的な対症療法ですので、本質的な問題は先送りになっています。

・カウンセリングについて

 人間関係は《甘える》《対等になる》《甘えさせる》という3つのこころを使いこなすことの連続です。簡単に述べると、《甘える》ことができないと上司や親などの目上の人と、《対等になる》ができないと同僚や配偶者(パートナー)と、《甘えさせる》ができないと部下や子どもとの関係に多かれ少なかれ歪みが生じます。完璧な人間はいないので、誰しもこの歪みは持っているのですが、それが大きくなると人間関係に偏りが生じてくるのです。これを踏まえて、現状ではどのような人間関係なのかをうかがいます。そして、どのこころが使いこなせていないのかを特定していきます。

 並行して、悩みの種となっている相手のこともうかがいます。相手にも使いこなせていないこころがあります。どのようなこころの問題があるのかを知れば、対策が立てやすくなります。古代中国からのことわざに「彼を知り己を知れば百戦殆からず」というものがありますが、自分のことも相手のことも深く知れば怖いものはないというほどの意味です。

「知る」ことは、安心するためにはとても大切です。

6

​児童虐待を受けていた・愛着障害がある

 児童虐待は、法律には「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待

​「ネグレクト(養育放棄)」の4つが定義されていますが、そもそもこの4つは「心理的ネグレクト」という親側(=主たる養育者)の無関心性(=情緒応答性の欠如)が原因で起きています。なので、子が痛がっていても、怖がっていても、苦しんでいても、表情が冴えなくても、親が子をいじめ続けるということができてしまうのです。虐待の専門家は、親側がこの問題をかかえているのかどうかを注意深く聞き取ります。

 虐待環境下で生きてきた人は、親が上記のような精神科的問題をかかえていることが多いので、親から気持ちを扱ってもらった経験がなく「気持ちがわからない」という訴えをすることが少なくありません。それは心理的には孤立しながら生きてきた悲しい反応で、自分の「気持ちがわからない」ので、他人に迎合するだけの生き方になってしまうこともしばしばです。これを専門的には愛着障害と呼びます。

 愛着障害は2つに大別できます。①反応性アタッチメント症と②脱抑制型対人交流症です。①は極端に人を避けているので、ときには回避性パーソナリティ障害と誤解されてしまうこともあるようです。②は対人距離を掴めずベタベタとしてしまうことがあり、その様子がADHDやASDなどに見えてしまうこともあります。が、いずれもこころの奥底には空虚と恐怖が混在しているので、こうしたこころの動きをしっかりと確かめていくと、虐待の傷がはっきりと見えてきます。

・カウンセリングについて

 幼少期からの家庭環境をいっしょに振り返っていきます。大事な場面で親からの声かけはあったのか、困ったときに親は助けてくれたのか、または親を頼ることができたのか、などです。

 ある人は「受験の際に相談することはいっさいなかった」と話します。また「志望校などを聞かれることもなかった」とも言います。

 また別の人は「ひどいいじめに遭っていても、親には言えなかった」と振り返ります。

 いずれも親との間に愛着関係が成立していないので、子の側が孤立して生きている様子が見えてきます。こうした姿がわかってくると、親との関係の不安定さが人生の不安定さと結びついていたのもわかってきます。

​ つらい幼少期を振り返っていくことは苦しい作業でもありますが、人生の出発点がわかれば現在地もつかめてきます。どこから生まれ、どこへ向かおうとしていたのか、いっしょに考えていきましょう。これから向かうべく行き先も、やがてあきらかになってくるはずです。

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​小児性愛

 近年、児童・生徒を対象としたわいせつ事案が頻繁に報じられて話題になっています。小児性愛にもさまざまな原因がありますが、親子関係に大きな問題があって、成人女性と対等な関係になれない男性が、自分よりも年少の女児(女子生徒)に興味関心を向けるというのが多いようです。小児性「愛」とありますが、そこに一般的な意味での愛情はなく、従順になってくれる相手のほうが接しやすいという背景があります。

・カウンセリングについて

​ 治療の主軸は個人や集団での精神療法(カウンセリング)とされていて、これを補うために薬物療法も一部行われています。当オフィスでは一対一でじっくりとお話を聞き、なぜ興味対象が子どもに向かうのかを考えていきます。多くの場合で、母親への恐れなどが隠れていることがあり、この気持ちを共有していきます。しっかりと気持ちを見つめていけば、けっして解決することのできない問題ではありません。

​©︎2022-2025 汐見カウンセリングオフィス

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